フ~ム 菅家市長・・・・・?

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 6 月 21 日11:26 PM

市議会6月定例会開会中です。

私は、18日一般質問で登壇しました。神指城趾を活かした地域振興についてと、予算案をいきなり2~3月の定例議会で出すのではなく、その編成過程からもっと議会と審議すべきではと提起した。

 

神指城趾については、昨年、都市計画路線の通称若松西バイパス予定路線の(埋蔵文化財)試掘調査が行われた。その結果、築城途上で築城の方法やその過程がわかる全国的にも稀な、国指定にできる遺跡のランクであると、文化庁のお墨付きを得た。よって、将来にわたって保存すべき遺跡であり、現予定ルートの変更を望まれた。

予定路線とは、本丸跡と二の丸(高瀬の大木(ケヤキ)がある北東土塁と南東土塁)の間を抜けるルート。

しかし、地元住民から一旦決まったルート変更の説明に、とまどいが起きるのは無理はないと思う。

日本史的にも貴重な遺跡というのは、以前から識者からはいわれていた。しかし、昭和47年食料増産目的でほ場整備のため、四隅の土塁を除いて二の丸土塁の大半が崩され、前述した若松西バイパスの予定路線が昭和59年に都市計画決定された。今の考えでは何と無謀なことをといえるが、戦後、鶴ヶ城本丸にも競輪場があったことを思えば、史跡に対する文化財的価値としての考えは時代とともに変わる。

(だから、先見の明が必要なのだ。目先の利害だけで判断するのは貴重な遺産を壊すことになる。)

私は、「保存か開発か」二者択一、また対立的に考えるのではなく、史跡を活かした地域開発を訴えた。例として挙げたが、奈良県明日香村に適用されている「明日香村特別措置法」がある。これは、史跡の保存と地域住民の生活の安定と産業の振興が並び立つように昭和55年に施行された。これを例に、県や国に働きかければいい。

また、優れた自然景観や歴史遺産を買い取るナショナルトラスト運動というのがある。国指定史跡になれば、買い上げに80%の補助がでる。20%の負担分は(知床トラスト運動で地元の斜里町がやったように)、全国に寄付金(ふるさと納税制度も使える)を募る。著名作家にも名前を貸してもらうのもいいだろう。マスコミが取り上げ全国に流してくれることうけあいだと思う。

神指城趾は、史跡公園、農村公園、運動公園の複合公園が望ましいと考える。そして、いずれ近くを若松西バイパスは通るのだから、その道路周辺は地元の産物を売る商業施設や駐車場に整備すればいいと思う。

昭和50年代、下郷町の大内宿が国から伝統的建造物群保存地区(伝建地区)に指定を受けるときも、家が自由に改築できなくなるという反対論もあった。当時の誰が、大内宿が中山道の妻籠・馬籠・奈良井宿以上の賑わいになると想像できたでしょう。

田んぼを、道路のためだけに売ったら(一時金が入るかもしれないが)、それっきり。

それより、せっかくの地域資源(神指城趾)を活かして、子々孫々まで続く永遠の地域振興を図った方が得策というもの。

 

そういう提案をし、市役所内にプロジェクトをつくる考えを質したが、すべて当の菅家市長の“想定外”のことのようで答は芳しくなかった。私は、2年前の6月の市議会でも神指城趾についてとりあげ、この若松西バイパスの路線変更を県に求めるよう(このバイパス整備は県の事業)いったが、計画通り早期開通を要望するという方針を変えなかった。

今回は、文化庁や県教育委員会の意向でこの考えは変えた。菅家市長はいろんな場面で会津若松の「歴史や伝統」の素晴らしさを語るが、語るだけでなく、実際こういう問題に当たったときに行動も一致してもらわないと「言行一致」の人とはいわれないのではないだろうか。

斗南藩百四十年祭と柴五郎

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 6 月 15 日11:27 PM
斗南(会津)藩士上陸の地 ・直立する石は慶山石、会津の方を向いている
斗南(会津)藩士上陸の地 ・直立する石は慶山石、会津の方を向いている
柴五郎一家居宅跡
柴五郎一家居宅跡

12日~14日まで、表記出席のためむつ市へ。約20年ぶり。

バスでの移動で、片道8~9時間(休憩含む)。途中、三沢市の広沢牧場跡の先人記念館を見学。

12日夜前夜祭。会津からは、市長はじめ当局側、議員、そして商工会議所会頭・副会頭はじめ会員数十名で合計100名近く参加。

13日、円通寺での法要とホテルでの記念式典。               後、むつ市の小学生25名が選抜され“会津探検隊”として今年の5月に調査したことの発表会。

そして外に出て、秩父宮両殿下御成記念碑のある斗南ヶ丘、会津藩上陸地、柴五郎居宅跡など見学。

円通寺の脇には立派な会館ができ、開拓で入植した柴家居宅の近くにまでテニスコートなど運動公園ができていた。20年の時の流れを感じた次第。

往路のバスの中で、「ある明治人の記録」を再読。
何度読んでも、五郎少年を預けたあとの母親はじめ一家の婦女子の自刃の場面では涙があふれる。

柴一家が斗南に入り、落沢(おとしざわ)の入植地は今ではすっかり森で、前に来たときもそうだったが、こんな悪条件のところでも開墾しなくてはならなかった当時の苦労に胸が痛くなる思いだった。

「ここは戦場なるぞ。」生きて汚名を晴らす、という“気概”は現代の飽食日本に生きるわれわれに最も足りないところかもしれない。

また、「ある明治人の記録」の編者・石光真人が第2部で重要なことを語っている。

義和団事件の祭、駐在武官だった柴五郎が全面に立って交渉し、それを乗り切った。その経験者・柴が、退役後第二次世界大戦を迎え、日本(及び日本軍)に厳しい見方をしていた。

人も国も奢(おご)って相手(国)を見下してはならない。
優位者、また勝者の立場で身勝手であってはならない。                                                                           というような考えは、自身がいくら幼年時代だったとしても戊辰戦争での敗戦を経験し、つらく厳しい思いをしているから身に付いたものと考える。

自分が辛い思いをさせられて、それを弱いものに転化するのが「いじめの連鎖」なのだが、そうしないのが会津武士道の真骨頂といえる。

文章からも、温厚・謙虚な人柄というのが伝わるが、現日新館館長の宗像精(ただし)先生がおっしゃるように「躾(しつけ)が人格にまで昇華した」人なのだと思う。

藤原正彦氏も著書「国家の品格」でいう。惻隠の情(そくいんのじょう)というのが武士道の本質、と。  

柴五郎という方は、まさに会津武士道を体現した典型ともいう人だと思います。

青森県むつ市へ

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 6 月 11 日11:19 PM

昨日10日、市議会6月定例会開会。

しかし、明日12日から14日まで、本市と姉妹都市の青森県むつ市で「斗南藩百四十年祭」開催のため訪問する。これには、本市から市長、教育長はじめ市当局、商工会議所関係、そしてわれわれ市議会と大挙して訪れる。

再読中の「龍馬がゆく」も第6巻目となり、龍馬のやった薩長同盟の大仕事と寺田屋で襲撃を受けた場面まで読み進んだ。歴史の変わり目のことを自分に置き換えて考える。龍馬のとった脱藩という行動は、藩という一つの立場で見るのではなく自由な立場で客観的にものごとを見ることができた。

“とらわれない”そういう目が一方で必要と思う。

しかし、「自由になった」分、立脚点というか後ろ盾がないことになるだけに影響力を行使するには苦労するだろう。それを龍馬は、商人的才覚(リアリズムとバランス感覚)と航海術を身につけることによって「事業」を成していった。「理と利」で人を説いた。

立脚点が違い、守るべきものが違えば争いになる。争う双方に大儀がある。その大儀が違うので、争いの結果敗れた方が誤っていたとはいえない。見方としては、かえって生き方として「筋」を通したと讃えられることもある。

会津藩のたどった道に思いをはせながら、新しい時代の扉を開けていきたい。その一つが、全国の地方議会で先鞭をつけようとする我が議会である。

さまざまな分野で会津から“合図”を発していければいい。

朝日新聞 東北大 と・・・

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 5 月 30 日9:58 PM

25日(火)朝日新聞の“みちのくワイド・増田寛也の目”という欄に私と元総務大臣・増田寛也氏の対談記事が掲載された。紙面の3分の1位を占め写真もカラーだった。

会津若松の議会改革のこと、議員報酬や定数のことなどの内容。取材は22日昼に昼食を摂りながら受け、写真はその後、丁度東公民館で行われていた「市民との意見交換会」の会場内で撮られた。増田氏と企画した朝日新聞のS論説委員も意見交換会の様子も知りたいとのことで・・

 

27日(木)は、午後1時から休憩を挟んで4時過ぎまで東北大学政策大学院の「地域社会と公共政策論Ⅱ」という授業で外部講師に。前半の1時間15分くらいは、地方議会の本来のあり方を国会との違いから話し、会津若松市の議会改革の現状と課題を述べた。休憩の後さまざまな質問が飛び交った。あっという間に4時15分過ぎになってしまい終了となったが、まだ質問は続きそうな勢いだった。

受講した学生は22~3名で、修士1年と2年ということだったが、就職希望は国家公務員、地方公務員、そして政治家志望の人も。「現場」での話が、少しでも学生の将来のために役立ってもらえたら、と思う。担当の先生は、総務省から出向のN準教授。地方自治関係の研究者は、学会としてもまだまだ少数で、大学からお呼びがかかるらしい。

前日、仙台では河北新報主催の「仙台市議会は変われるか」というシンポジウムが行われていたそうだ。コーディネーターは私も面識のある法政大学の広瀬先生。私の講義を受講した学生のうち、このシンポジウムを聞きに行った学生の10数名いたようで、会津若松市議会と仙台市議会の取り組みの違いもある程度判ったと思う。最大の違いは、「議会」が(議員個人としてではなく、議会として)市民の中に入って「意見交換会」をしているのか、それをどう政策に反映させようとしているのかだと思う。

 

こうのように、注目を浴びるようになったのは、会津若松の議会改革が全国の地方議会の中でも先行している位置にあこと。さらに昨年、精神的にも肉体的にも傾注した「鶴ヶ城周辺公共施設利活用構想(素案)検討委員会」による検討結果と議会決議が耳目を引いたことによると思われます。

刺激を受けながら充実した日々・・・・

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 5 月 24 日1:18 AM

ブログの書き込みが途絶えてゴメンナサイ。それでもいろいろ“充実した”日々を過ごしています。

8日(土) 菜の花プロジェクトの中で「菜の花鑑賞会」。寒さのせいで少し開化が遅れていましたが、この日親父バンドが懐かしのサウンド(ベンチャーズ・寺内タケシ・加山雄三ほか・・・)を青空の元響かせ幸せな気分でした。裏方として午前9時から午後9時まで拘束され働きましたが、気分は満足です。

9日(日) 手前味噌づくり。北会津真宮で。麹のたくさん入った美味しい味噌。来年3月ころ開封。

12日(水) JAZZの名ギタリスト渡辺香津美の演奏を聴く。(風街亭)ギター・ベース・ドラムのトリオ。さすがプロ。それぞれのテクニック、パワー・・・・最高でした。

16日(日) 美しい背あぶり山の森をつくる会主催の自然探索会。班の副班長を命ぜられる。役目は最後尾を歩き迷子が出ないようにすること。晴天の下いい汗をかいた。

19日(水) 全国の自治体議会で初めて議会基本条例を制定し、今でも先進議会として名高い北海道栗山町議会が我が会津

若松市議会を視察。主に我が議会の「政策形成サイクル」に関心を持って来られた。当方8名の議員の一員として対応。私は「鶴ヶ城周辺公共施設利活用構想(素案)」の検討委員会について、およびその議会決議にいたった過程と意義について説明した。夜も懇親会。昼夜活発な意見交換をした。

20日(木) 前日に引き続き、今度は栗山町議会が制定しようとしている町の「総合計画の策定とその運用」に関する条例案について説明を受け質疑。今まで議会の手の届いていなかった分野に踏み込む先進的な条例。議会の可能性、権能を一歩前進させるさすがといわせる条例(案)です。見習わなくては。

21日(金) ファシリテーター養成講座で新潟・点塾へ。全4回シリーズの1回目。自己紹介の仕方、ワールドフェアなど新しいワークショップを体験する。清水義春氏に私淑する私としては、氏のひと言ひとことに聞き耳をたて拝聴する。的確な言葉に納得するばかり。夜は酒と楽しい談笑。泊。

22日(土) 昨日の続きでインタビューゲーム。受講者は、各地でさまざまな実践をしている人が多い。興味・共感をもって聴く。昼からの用事があり、後ろ髪を引かれる思いで午前10時過ぎ点塾から若松へ。                                       昼から、朝日新聞の企画で元岩手県知事・元総務大臣だった増田寛也氏との対談。会津若松市議会の議会改革、地方議員の定数・報酬など地方議会を取り巻く現状について話す。新聞には来週掲載されるとか。東北六県版。

23日(日) 7月4日(日)に開催される全会津文化祭(エンジン05)のスタッフと打ち合わせ。会津さざえ堂について、山主の飯盛氏と会津大短期大学部の柴崎先生との対談のコーディネーター役を務めることになっている。

毎日せわしなくかつ充実してやっていますが、なんか“忘れ物”をしていないか、ちょっと不安もあります。              

堰と里山を守る会

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 5 月 7 日11:48 PM
まだ雪が堰を覆っているところも

まだ雪が堰を覆っているところも

落ち葉や泥を上げる
落ち葉や泥を上げる
上流の堰の取水口(右下の方)
上流の堰の取水口(右下の方)
早稲沢の集落
早稲沢の集落

 

 
 
 
 
 
 
喜多方市と合併した山都町には、Iターンした人が何人かいる。

その中の一人Aさんは、早稲谷という集落で農業者として移住し「堰と里山を守る会」を設立した。

(余談ながら、ここは修養団創設者・蓮沼門三先生の生まれたところ)

何年か前、Aさんと顔見知りとなった。5月4日、毎年恒例の“堰上げ”手伝いにいった。今年2回目のお手伝いだが、遠方よりも泊まり込みで2~30人以上参加者が。

上流の川から取水し、山の腹をぬって堰を掘り田んぼに水を引く。冬の間に溜まった泥、枯れ枝や落ち葉を堰から払い上げ水が通りやすくする。また、補修が必要なところもある。

こうした作業が、田に水を引く代掻き前にやるのが“堰上げ”だ。遠い昔から村の共同作業として、堰をつくり守ってきた。米が本当に貴重な時代、先人の血と汗の結晶といって過言でない。

今、山村は過疎と高齢化の時代。都市住民との交流が山村の田畑を守る重要な手段だ。
つらくてきつい労働も、みんなでやれば励みになる。一緒に作業した、72歳の地区の農婦がそういっていた。

食物連鎖を体感(自然とのつながりにより得られる食への感謝)し、生産過程を実体験するするため、「国民皆兵」ではなく「国民皆農=快農」を夢見ている。

鳩山首相の沖縄訪問

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 5 月 5 日9:53 AM

マスコミの報道は、鳩山首相は期待ばかりふくらまして云々という、「民意」を盾にとった論調がほとんどのようです。

しからばどうすんの、という日本の安全保障についての“本質的”論点からの論議がまるで欠けているようです。
マスコミは基本的に東山温泉(そのココロは~湯(い)うばっかしf^_^;)ですから・・・・

マスコミも国民も、“政策より政局がおもしろい”からでしょう。

今年NHKで「龍馬伝」をやっているので、何十年かぶりに「龍馬がいく」を読み返しています。
ここで気がついたのは、当時の人たちは自分の所属する藩や幕府という観点からものごとを考えていた。「日本」という立場でものごとを考えていたのは、龍馬とその師の勝海州だけだったと思います。

それを、現代に置き換えると、各政党の人たちは自分の所属する党からものごとを見、単に与党・野党で相手党を攻撃、全否定し日本のとるべき姿を同じ土俵で論議していないと思うのです。

鳩山首相が、自民党時代の政策を“洗い直し”するのはいいと思いますが、否定を前提に発想しているので選択肢を狭めたものと思います。

将来に不安だらけのこの国を、これからどうするのか、政党の枠を越えて胸襟を開いて論じ合って欲しいと思います。

最近私が読んだ本で、示唆に富むと思ったのが
「希望の構想」(副題)分権・社会保障・財政改革のトータルプラン~神野直彦編集 という本で、北欧諸国をモデルとした国づくりが書かれています。

春 高楼の花の宴・・・

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 5 月 2 日9:58 PM

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昨日午後、お城に花見に出かけました。

県立博物館で、氏郷と少庵展を覗きお城へ。

二つのテニスコート沿いの土手を巡り、天守閣へ。

二の丸土手を歩き、北出丸を通り、本丸茶屋の脇を抜け、鶴ヶ城会館駐車場側のお堀沿いに進み、再び県博(三の丸)へというコースを歩きました。

多くの人出でした。
今年の春は、寒かった分桜の開花が遅れました。それがゴールデンウィークにかかり、観光客の入りに良い影響を及ぼせばいいのですが・・・・

今日は、所用で飯盛山に出かけました。

こちらも、多くの人が訪れていました。

改めて“太夫桜”を眺め、ソメイヨシノとの色の違いに気づきました。
ソメイヨシノは白っぽいのですが、エドヒガンザクラの太夫桜はやや灰色っぽいくすんだ色でした。それが、ちょっと艶(なま)めかしいような・・・・

平地よりやや高地になる、飯盛山山麓の桜、コブシ等が青空の下、丁度見頃でした。

明日は、会津大学を囲む散り際の桜並木を愛でながら散策しようようと思います。

足尾の植樹・写真追加

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 4 月 25 日11:26 PM
精錬所跡が彼方に

精錬所跡が彼方に

立松和平氏慰霊植樹
立松和平氏慰霊植樹
渡良瀬川上流の煙毒による裸山
渡良瀬川上流の煙毒による裸山

足尾銅山跡の植林

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 11:17 PM
天気にも恵まれ気持ちよく植樹できました

天気にも恵まれ気持ちよく植樹できました 渡良瀬川上流の煙毒による裸山立松和平氏慰霊植樹

昨年に続き、昨日(4/24)栃木県の足尾銅山跡の「春の植樹デー」(主催・NPO法人足尾に緑を育てる会)に参加してきました。

今年は15年目になるそうで、さらにこの運動に理解と協力をされていた作家の立松和平さんが昨年お亡くなりになったので、慰霊のセレモニーもありました。記念の植樹もありました。

昨年は氷雨模様だったのですが、今年はやや風が寒かったものの晴れていい天気でした。親水公園の桜も見頃でした。昨年は9百数十段登った地点での植樹でしたが、今年は6百段余登って水平移動したゾーンに植えました。

出身は宇都宮(立松和平氏の高校の後輩)で現在神奈川在住の人と知り合いになり、植樹が終わって降りて豚汁を食べながら話に興じました。“同好の士”というのは、少し話せば共通の思いがあり、また教えてもらうことも多く楽しいものです。会津若松七日町通りのことも知っていて、今度来られたら瓦屋根のわがファミリーマート店にお寄り下さるようお誘いしました。

帰りは、湯西川温泉の道の駅により温泉に浸かってきました。中で、同じソフトボール部の人がいてびっくり。いいお湯でした。

また、夜はY新聞社の以前会津若松支局に勤務していた人たちとの飲み会。北海道から駆けつけた人もいて、会津の「三泣き」が“実証”された格好・・・。久々に痛飲。

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