昨日の日経(板東俘虜収容所について)
日本経済新聞6月28日(月)、最終面の文化欄。
「寛容貫いた捕虜収容所 ・ 第1次大戦で『模範』に 敗者の痛み知る会津人所長」と題し、鳴門教育大学名誉教授の田村一郎氏が書いた文が掲載されている。
ドイツ兵が「天国のような」と評したという板東俘虜収容所を運営した当時所長であった松江豊寿自身は、日記や手紙のたぐいは残していない。ただ、松江自身の“周辺”の資料や娘さんへのインタビューから、その性格や人道的な運営をした背景など調べている。
柴五郎陸軍大将の「ある明治人の記録」にも触れ、会津人の敗者側の痛みを知り共感できる素地を書いている。以前このブログで、武士道の本質は惻隠の情を知ることとも書いた。別な言葉で言えば「武士の情け」であり、決して「切り捨てご免」が為政者側であった武士の本質ではない、と思う。
私は、一方で司馬遼太郎氏、及びその作品に対する評伝を読んでいる。
その中に、吉田松陰を主人公にした「山縣有朋の『世に棲む日々』という評論があった。奇兵隊がまず藩内で実権を握った後、当の長州藩内で上士階級をコケにし狼藉をはたらく退廃ぶりがあり、それが「官軍」に引き継がれ会津戦争後の傍若無人な占領政策となった。明治となり旧陸軍を創設した山縣有朋に対しても、単なる「出世欲が動機」だけで奇兵隊に入り、ついに「明治政府そのものをにぎる人物に」なってしまったと評している。(私は、昭和の入っての陸軍もこの系譜の上にある、とほぼ確信している。)
肩書きではなく、人間としての普遍的な価値である“他人を思いやる気持ち”が人道主義や国際主義につながるものであり、それが会津ゆかりの松江豊寿や柴五郎の生き様によって体現されたことに、胸の中で誇りに感じているものです。

