中世山城の里・瀧谷

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 3 月 25 日10:43 PM

写真1,山城のあった通称下館山(しもたてやま)。正式には、巌谷城(がんこくじょう)。
写真2,瀧谷の地名の由来となったような村の入り口の滝(小屋の後。暗いのでやや見えにくいが)。                              夏になると枯れる。

22日、お彼岸で生家のある滝谷へ。

只見川筋では、(江戸時代は)現柳津町までが会津藩領、滝谷のある現三島町からが天領(通称・御蔵入り)

それ以前の中世は、現柳津町までが芦名領。滝谷から奥が山ノ内領。
山ノ内氏の本城は、現金山町横田。

滝谷、桧原、西方、沼沢、川口など山ノ内氏の七家の一族がそれぞれ山城を構えていた。滝谷は、芦名領との境で最前線の山城。

芦名とは、同盟を組んだり敵対したり。(もともとは、どちらも源頼朝から領地を与えられた同格の家柄)

伊達に攻められた時は、芦名と同盟を組んだが(川口など一族の一部は伊達と内通)、その後、秀吉の「奥州仕置き」で、領地を召し上げられる。

江戸初期に、若松で「稽古堂」を創設した横田俊益は、桧原山ノ内氏の出。(本家の地である横田を姓にした)

滝谷山ノ内氏は、帰農。江戸時代は郷頭。ある時期は、御蔵入り五万石の郷頭筆頭の人物も排出。子孫は今も住んでいる。(摺上原での伊達軍との合戦では、その時の当主は討ち死にする)

沼沢山ノ内は、会津松平家に仕官。沼沢出雲守となり、千石を拝領し番頭(ばんがしら)=軍事職の筆頭に出世。屋敷は、宮泉銘醸前の現若松タクシーの場所。
樺太出兵など出陣の時は、いつでも(中世の主従の関係が切れている)旧領民が大挙して付き従った。(忠誠連判状を押していた)

こんな歴史のあるところで、一端を紹介しました。

「会津は広くて深い」とは、県立博物館館長の赤坂憲雄先生の言葉です。

有意義だった岐阜県

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 3 月 22 日9:52 AM

21日の多治見市市政基本条例記念シンポジウムのパネリストとして登壇、翌21日午前中は、旧知の岐阜県教員で現岐阜県立博物館の浦崎氏と会談した。

多治見市は、改革派市長として有名な前市長西寺雅也氏時代から、自治基本条例、財政規律条例、市民参加条例、市民投票条例など自治のあり方を(誰が市長になっても)きちっとした“しばり”をつけて、健全な運営をしなければならないようにした。まさに、地方政府のありかたのモデルをつくった先進自治体です。

職員も前向きです。自ら学び自ら行動するという組織風土になっていると感じました。(シンポジウム後の懇親会でも、その辺の空気はよく判った。)西寺前市長以前はそうでなかったそうで、まさに「親が変われば子も変わる」「トップが変われば組織が変わる」という典型ではないでしょうか。役所という中核が能動的な組織になれば、地域の“活き活き感”はもっとダイナミックなものになると思います。

 

さて、翌21日は以下浦崎氏のメルマガをコピーし掲載します。(私が書くより核心をついていますので・・・・)

 

★ 2時間半に及んだ“議会質問”
 
  今日21日(日)午前は,パネリスト登壇(↓)のためご来県だった旧知の会津若
 松市議会議員・目黒章三郎さんの会派ご一行4名様が,ご帰還前に岐阜駅まで
 お立ち寄りくださいました。
 
 多治見市市政基本条例記念シンポジウム(3/20) http://bit.ly/blqgs0
 
 
  9時15分頃から,岐阜駅構内のカフェで“議会質問”はスタート。質問は,日
 頃このメルマガでお伝えしているような内容。
 
  何せ,相手は本物の議員で,しかも予めお届けした資料は隅々まで熟読して
 の質問。初歩的な質問は一切なく,核心を突くような質問のオンパレード。
 
  受ける私としては「この質問を頂戴できれば本望!」という感じ。
 
  以下,一部を抜粋してご紹介します。
 
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 質問1)
 
  教育環境の再生には首長部局の参加&協力が必要だとのことだが,実際どの
 ようにアプローチしたのか?
 
 質問2)
 
  子どもの自発性を尊重するばかりではなく,強制的な躾(しつけ)も必要だと
 考えるが,この点について,どのような見解を持っているか?
 
 質問3)
 
  子どもから大人に変えるプロセスを再生&確立するのは難しい仕事だと考え
 るが,どのような実績や見通しを持っているのか?
 
 質問4)
 
  プログラムを企画&運営するノウハウの普及は非常に難しいと思うが,具体
 的にどのような方法を考えているのか?
 
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 答弁1)
 
  自河自賛プロジェクトを進めるにあたり,市町村等のほか,県の河川課等と
 連携することとなり,人的なつながりができた。
 
  その縁を活かす形で,「自然共生シンポジウム」の内容に「子ども」という
 視点を盛り込むこととなり,企画を一緒に進めることとなった。これが経緯。
 
  結果的に,子どもの自然体験の重要性について,土木関係者に理解をいただ
 くとともに,教育に対する当事者意識を持っていただくことができた。
 
 答弁2)
 
  躾は「守・破・離」の「守」にあたり,躾なくして個性の伸長はありえない
 と考えている。そして「守」の段階をクリアするためには,時に強力な指導は
 あって当然と考えている。(もちろん,学校で体罰は許されないが。)
 
  ただし,その前提は「強力な指導に入る前に,然るべき事前指導や信頼関係
 の構築を行うこと」。指導力のある教育者は,当然,このステップを大切にし
 ている。
 
  このステップを抜きに強力な指導だけ成立させようとするから「オシツケ」
 に終わり,逆効果になる。
 
 答弁3)
 
  指導力や事業に対する理解を併せ持つ教師が勤務する学校のある地域をモデ
 ル地区の一つに選定している。
 
  そして,こうした教師や,生涯学習分野で豊富な経験をもつ地質学者,熱意
 ある市職員等によりスペシャルチームを構成し,企画・運営にあたっている。
 
  今のところ,プロセス全体について全員で見通しを共有し,各者が自分の役
 割を十分に理解し,完璧に任務を果たし,想定通りの成果を収めつつある。
 
 答弁4)
 
  ノウハウは書物や一斉講義では伝わらない。最も大切なのは「感覚を掴む」
 ことだと考えており,そのためには,企画や運営の現場に立ち会い,その場
 の空気を吸っていただくのが最善と考え,そのような研修を用意している。
 
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  おかげさまで,質的にも量的にも超充実した“議会質問”の時間を過ごさ
 せていただくことができました。次のステップがとても楽しみです。

外部の評価から・・・・・

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 3 月 20 日6:36 AM

本日これから、岐阜県多治見市へ行きます。多治見市主催の「多治見市市政基本条例記念シンポジウム」~まちづくりのルールまちづくりのかたち~のパネリストに招かれたからです。

来月は、大阪市で開催される東京財団と関西若手議員の会の共催によるパネルディスカッションにも呼ばれています。

5月には、東北大学大学院の講座で話して欲しいとの依頼もあり、さらに地方自治における「超大物」が取材に見える予定です。

他地域でのフォーラムに招かれるのは、会津若松市議会では私だけではなく、同僚議員の何人かも招かれ話しています。これは、このブログでも何度か取り上げていますが、一昨年6月の定例市議会で可決施行されている「議会基本条例」に基づく取り組みが、全国の議会関係者、自治体関係者、大学の先生も含む研究者、地方自治に関心のあるメディア関係者などに関心を集めているからです。また、別な“現象”では、年間、このテーマでの視察で150もの団体が本市に訪れています。

しかし一方、当の会津若松市民の理解はまだまだと感じています。他の例でも(文化、芸能・・)あるように、日本ではあまり評価、関心が向けられなかったものが、海外で評価を得て「逆輸入」されることがあります。ですから、まず、地方自治に関する研究者あたりから、会津若松市議会の取り組みとは、全国比較、歴史的にみてなどどのような意味や意義があるのか、本市市民向けに話してもらう機会をつくる必要があるのでは等と考えています。

また、新しい課題取り組みの対象が見えてきました。

涙の中学卒業式

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 3 月 13 日10:46 PM

昨日12日は、中学校の卒業式。議長祝辞の代読でI中学校へ。

校長先生の式辞、在校生の送辞、卒業生の答辞とそれぞれ型にはまっていながら「形骸化」してなく心に響く。

校長先生は、この春退職されるので38年間の教員生活最後となる。在校生が感極まって、つかえながら涙声の送辞というのも初めてだった。答辞も、別れを惜しみながら充実した中学生活だったことがよく伝わった。さらに、保護者代表の謝辞も心温まるものだった。

式では、閉式の前の校歌斉唱の前に、式歌を在校生、卒業生がそれぞれ1曲づつ唱った。閉式後、卒業生が退場する前にも全校合唱でもう1曲唱った。

この中学校の合唱部は、昨年全日本合唱コンクールで銀賞を受賞した。また、クラス対抗の校内合唱コンクールもあった。ということの成果だと思うが、ここの中学生はどの歌もきれいなハーモニーで唱い、それが一層、式の感動を盛り上げた。

自分の40年あまり前の中学校の卒業式を思えば、女子生徒にすすり泣く子もいて、それに不思議な感じをもったあっけらかんとした中学生だった。大人となった今の方が泣ける。

 

さて、卒業式の歌だが「仰げば尊し」が唱われない。式で青春のとまどいや希望の歌を唱うのはそれはそれでいい。しかし、人は他者との関係でお世話になり成長しているのだから(もちろん、答辞にも親や先生はじめ周りの人への感謝が述べられているのだから)、「仰げば尊し」も唱って欲しい・・・と思うのは私だけだろうか。

今は、「仰げば尊し」を唱う学校は少ないのだろうか?単なるノスタルジーではないと思うのだが・・・・。

(当時、反抗的生徒だった私でさえ、こう思っているんだから・・・・)

“おおブレネリ”とトイレ掃除

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 3 月 7 日12:02 PM

毎週日曜の朝、(経営する)ファミリーマート七日町店のトイレ掃除をする。

私は、日本を美しくする会(創設者・鍵山秀三郎氏)会津掃除に学ぶ会にも所属しているので、その掃除のやり方を基本としている。

店の中は、ウォッシュレット式なので、コンセントを抜き、トイレフタ、便座を便器からはずしながら「解体」し、一つ一つ素手でスポンジタワシに洗剤をつけ磨き、タオルで拭き取る。床も同様に。トイレ内にある小物も丁寧に拭き取る。

店の中に入らなくても直接利用できるように、外トイレもある。こちらは、段差のついた和式トイレ。こちらも、手洗い、水タンク、便器、床と同じようにスポンジでごしごしやる。

 

鍵山秀三郎相談役は、トイレ掃除をしているときは悪いことを思い浮かべないとおっしゃっている。禅系の宗派も作業を作務といって「動く禅」という位置づけという。

で、私などはトイレ掃除をしているときに自然に口に出てくるのが、“おおブレネリ”だったり“おお牧場は緑”だったりする。これらの歌は、私が小学生高学年のころ始まったNHKの「みんなの歌」で紹介された外国民謡だと思う。明るく元気で勢いがあり、また異文化に触れるようで大変新鮮だった。

今朝は、名残雪が降っていたので、イルカの「なごり雪」が鼻歌だったが・・・・・

トイレ掃除は、気持ちの「浄化」に効用があるようです。

市議会視察急増中!!

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 3 月 5 日10:09 PM

市議会定例会開会中だが、今日は私が所属する総務委員会はなし。

そんな中、大阪府吹田市議会の若手市議会議員ほか計4名で、本市に「あいづっこ宣言」と議会改革に関心を持たれ視察に来られた。林英臣という経世家(活動が多岐に渡り、肩書きを一言でいうのが難しい。松下政経塾1期生)のご縁で、私が応対。

20年6月市議会定例会に制定された「議会基本条例」に基づく、本市議会の政策形成サイクルをはじめとした活動内容を説明しながら意見交換。

2人とも1期で、改革の思いを吹田市議会で形にしていくのに苦労している様子。しかし、高い志と熱い思いを感じた。少し時間はかかっても、前進していくものと思う。来年度、再び、吹田市の議会運営委員会で行政調査で本市を訪問したいといってくれた。(まず、議運内での説得がうまくいくよう期待したい)

さらに、である。私は、4月18日(日)大阪市で開催される地方議会関係のフォーラムのパネリストとして主催者の東京財団からオファーを受けていたが、なんとこのフォーラムは今日の2人も属する「若手議員の会・関西」の共同開催だとか。

まさしく「へ~・・・」である。偶然とはいえ、また大阪で再会することになる。

「地域から日本を変える」ちにか運動を松下幸之助翁の創設した松下政経塾では唱えているが、私たち会津若松市議会の実践例が他の地域へ伝播することに意義を感じる。(もちろん、本市においても先進事例を参考にしたのだが、『議会改革運動』として、全国の議会が次々に動き出せば、日本は変わる。もっと成熟した、自立した国民による民主主義の国になると思う)

 

※昨年4月以降、議会改革関係の視察が150団体近くになる。1団体平均7~8名。宿泊、飲食、土産など一人2万5千円くら            い遣うとして、今年度だけで3千万円くらいの経済効果を本市に生んでいる。

成果だけ誇るのは、どうも・・・・・

カテゴリー: 市議会 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2010 年 3 月 2 日9:52 PM

会津若松市議会3月定例会の本会議が昨日3月1日から始まる。

国会でもそうだが、権力を握っている方(国は政府・与党、市は市長)は成果を披瀝したがる。あれやったこれやったと。

しかし、会津若松市の乳幼児医療無料化は、県内60市町村中最低水準です。(会津若松市とあと1つの町が就学時前まで。他市町村は小学校6年までとか中学3年まで無料)                                            また、平成16年北会津村、平成17年河東町と合併し、その時に合併後10年以内に事業着手すると約束した41事業の内、半数は今だ未着手です。恐らく、合併後10年以内に着手できない事業が数多く残ると思います。社会、経済情勢の変化で予定通りいかないこともありますが、それにしても説明責任が必要です。

最近、菅家市長の議会での発言、あるいは諸団体での市長挨拶を聞いていると、あれやったこれやったと成果は誇りますが、できていないことは言いません。できていないことを「隠す」のではなく、なぜできていないのか、またうまくいかないのか、素直に説明した方が誠実だと思うのですが・・・・・

それが、「市民参加」「市民協働」と自らいっている市民と共に進む姿勢ではないのでしょうか?

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