青木山山頂の熊の爪痕

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2009 年 10 月 17 日10:34 AM
山頂の標柱

山頂の標柱

去年と2~3日前の爪痕
去年と2~3日前の爪痕

昨日は、午前だけ“NPO法人はるなか”のお手伝いで、青木山登山道整備に。

これは、「はるなか」主催による、「青木山の歴史と自然を見て歩こう」という企画の準備のためのもの。
10月25日(日)には、シコンメンバーいしださん解説の小田山~青木山の歴史遺構コース
10月31日(土)には、五十嵐義先生による自然観察コースが催される。

「はるなか」佐藤理事長指揮の下、私は「青木山コース」の山道整備の班に編入され、主に道をふさいでいる倒木の除去や、笹、ススキなどの刈り払いをした。

で、写真は山頂の標示杭に残る熊の爪痕。古いのが昨年4月で、新しいのがここ2~3日前らしい。

何百年に渡って親しまれてきた里山としての青木山だが、戦後のいわゆる「近代化」のなかで縁遠くなってしまった。
それを、新たな視点で市民に市民に親しまれるよう事業に取り組んで折られる「はるなか」さんの活動に共感を覚え、お手伝いしたものです。

朝は、盆地特有の霧がかかっていたが、昼はスッキリと青空が広がり、気持ちのいい汗をかきました。

午後は、郡山の南東北病院で、腎臓結石破砕のための衝撃波を3千発、先月に続いて受ける。ウ~~ム・・・・(-д-;)
来月は、1週間に1回、3週続けますとのこと。
またウ~~~ム・・・(*_*)

大石邦子さんの講演を聴いて。

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2009 年 10 月 12 日10:16 PM

先日、大石さんの講演を聴いて、以下感想です。

 

 

  今年も、日本での自殺者数は3万人を越えることが予測される。そうすると11年連続になるという。

 絶望の淵に立たされた人が、明日への希望が持てなくなり死を選ぶ。しかし、大石邦子さんは、生き続けた。

 大石さんを支えた最大のものは、両親の愛だった。こう書くと通俗的かもしれない。しかし、多くの受講者が涙を流し、最前列で聞いていた私などは、指先の毛細血管が縮むくらいの感動を受けた。(何度か聞いているのにも関わらず・・)

 若い身空、通勤途中バス事故がもとで、下半身不随となり感覚も失い、排泄も一人でできなくなった。病院で看護婦さんや家政婦さんには「いい患者」で振る舞ったが、しかし、納得できない現実、生きる意味も判らないそんな思いで、週一回しか看護にこれない病気がちの母に辛く当たった。その母の答えは、いつも「人は生きるために生まれてきたの」というものだった。

 「飲ンべい校長」とあだ名された父は酒を断ち、勤め帰り病室に来ると、まともに目を合わることをせず、ただ「大丈夫だ、大丈夫だ」と繰り返した。

 自宅療養となり、やがて離れていった恋人の手紙を、すべて風呂のかまどで焼き一人泣いていたら、それを察した母が正座した膝に頭を乗せて、「人はこうして大人になるの」と髪をなでてくれた。

 家庭の中心にいながら自分中心に生きていなくて、愛する者のためにそうせざるを得ない存在が、母だったという。

 自分のイライラも悲しみも、全部受け止めてくれた母との死別に、何も返すことができなかったと悲嘆していると、お坊さんが「この世に後悔のない親との別れなどない」と言葉をかけてくれた。

 大石さんが、昨年ガンの手術を受けた。その2~3日後、動脈が切れ、どうしても麻酔無しの手術をせざるを得なくなり、胸を切開したらあまりの痛さに気を失ってしまった。その一瞬母の顔が浮かび、「死ぬ前に、誰かのために役立つ生き方をしたかった」と思ったそうだ。

 「そんな気持ちも、元気になると忘れがちになってしまうんですけどね」と微笑む大石さん。

 

障がいを抱えながら、そしてガンを克服した大石さんは、とってもチャーミングである。気持ちの持ち方、生き方からそういう“風貌”になっているのだろう。

「自分の心をわかってもらいたいのが人間」だから、それが大石さんにとって最大の理解者がご両親だった。そういう存在の人がいて自分が愛されていることを感じられるから、次に、人を愛することや人の役に立ちたいと思うことができる。

そして、これが生きる力につながることになる。

 

今のような時代にこそ、くじけそうな子どもや大人の人たちに大石さんの話を聞かせたい思った。

 

私も大変勇気づけられた。そして、まず身近な人たちの理解者であろうと思った。

野口英世青春通り

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2009 年 10 月 11 日11:59 PM

昨日、10月10日は晴れの特異日。(だから、1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックの開会日になり、その後、長らく「体育の日」として祝日になった。)

青春通りの活性化のため、三島町の「工人まつり」にヒントを得て、若手の「手づくり工芸フェア」のようなものができないか着想したのが一年前だった。人出が足りない、資金力がない、・・etc  そこで、会津若松市商工課が企画している「あぐりカフェ」を青春広場に招致し、連携することにした。

会津工芸新生会の照井氏や、県ハイテクプラザの漆芸後継者養成の坂内先生などにも協力をいただき、出品参加者を募った。

また、青春通り協議会のメンバーと手分けし、知り合いの農家、飲食店、三島町の生活工芸館など出店依頼をした。出店ブースのコマ割、本部テント設営など動く人が限られているが、おじさんパワーでこなした。

結果、当日は予想通り天候にも恵まれ、約5000人の人出で賑わった。

ただ、会場とした青春広場とVチェーン跡駐車場に来た人を、中町フジグランドホテル1階まで回遊することが今ひとつだった。

今年が、新しい催しの第一歩とし、さらに手づくり工芸の店の参加が増えるよう、そして、大町四つ角街区まで延伸し、通りの賑わいが広範囲になるようしていくのが今後の課題といえる。

まずは、「はじめの一歩」に手応えを感じた。

鶴マラ快走・・・?

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2009 年 10 月 5 日10:44 PM

昨日(4日)は晴天の下、会津若松市内でいろいろな催しがあった。

私は、午前中は鶴ヶ城健康マラソン大会(略して鶴マラ)、午後は、神指城発掘調査報告会へ。

少し自慢めくが、平成10年前後この大会の参加者が2~3年連続して1,000名を切ったことがある。丁度その頃、東京の美術印刷会社の社長で、岡山県のマラソン大会に関わっている方と知り合い、マラソン大会の運営のノウハウ、また地域活性化の効果などレクチャーを受けた。それをもとに、市議会本会議でとりあげ、もっと市長が先頭に立って取り組むよう求めた。(そんなこともあり、順位をコンピューターで計測するタグの予算もその翌年から付いた。)

鶴マラ参加者は、昨年の佐藤敦選手が参加したときよりも多く3300名を越えたそうだ。同慶の至りだが、まだまだ足りないと思っている。さらに他県からの参加が望めるはずである。さまざまな部門があっていいのだが、メインの部はハーフマラソンか、せめて20Kmコースが欲しい。そのためには、警察からの道路使用許可が必要で、さらに運営ボランティアも今以上に必要になる。だからこそ市長が熱意を持って先頭に立たなくては成り立たない。でも、それが本市の活性化につながることになるのすから・・・

私は、男子D(50~59歳)5Kmの部に参加。何と、昨年よりタイムが2分近く良くなっているではないですか。~まぁ、ゴルフに例えれば、120~130ぐらい叩いていた人が、10打縮めたと言っているようなもので、あまり自慢にならないが(苦笑)・・・・

それでも、来年は30分を切る目標ができた。具体的には、市内中心部の移動は原則的に自転車にする。(今年は気づくのが遅かった。)若松は扇状地で坂になっていて、また私の自転車が古いので足に負荷がかかり結構いい運動になる。

 

午後の、神指城発掘調査報告会も興味深かった。都市計画道路が計画決定されているので、そこにかかる10数カ所を試掘した。発掘物は、直接神指城のものはなく(当たり前であるが、徳川軍との戦のため工事は中途で中止となった。)ただ、内堀の堀り方、土塁跡(底の部分)と堀、または二の丸側などはっきりしていた。

市の文化課の説明によると、国内の城で築城年月がはっきりとしているのはここしかないのだという。また工事途中で廃城になったため、1600年代の城の築き方がよく判る貴重なものだという。

とすれば、文化庁(の担当者であるが)側が、国の史跡指定に値する、というのもうなずける。今年の春には、喜多方の新宮城跡が国指定史跡になった。(その経緯について、喜多方市教育委員会に調査に行く予定でいる)

神指城本丸跡、高瀬の大ケヤキのある二の丸東北隅の土塁、そして東南土塁それぞれを分断する都市計画道路が、高瀬交差点からオリンパス通りにつながる予定だ。再考も含め、慎重に検討すべきだと思う。 

わたぼうしで感動、そして明日は鶴マラ

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2009 年 10 月 3 日10:32 PM

第28回会津わたぼうし芸術祭に行ってきた。

テレビで「泣き歌」というのがあるが(クリームシチューが司会で西田敏行が出ている)、生で見ているだけにこの番組以上に感動・感激する。

純粋に、生きていることそれ自体に、また家族に対して「ありがとう」と思える(言える)ことのすばらしさ。障がいを持っているから気づくことも多いのだろうと思う。(日常、感謝が足りないと反省)

私は、障がいのある人もない人も意識は一緒だと思っている。差があるのは、意思や判断があっても、肉体的障がいがあるかないかで「ストレート」に表現できるかできないかだと思うから。

今日は、特に最後に歌われた、金子美智さん作詞、佐藤香さん作曲の「梅の木」がよかった。

テレビの「泣き歌」に、今日のわたぼうし芸術祭の様子を映したDVDをおくったらいいのに、とも思った次第。

 

明日は鶴ヶ城健康マラソンで5Km走ります。風呂はいって寝ます。

当局案に異議あり!

カテゴリー: 日記 — 投稿者: 目黒章三郎 — 2009 年 10 月 1 日11:51 PM

昨日(9月30日)「鶴ヶ城周辺公共施設利活用構想(素案)検討委員会」(私が委員長)があった。

メインの論議は、鶴城小学校の城前団地移転のプラン。鶴城小学校は老朽化し、耐震問題もあり改築が急がれている。市当局の案は、同じく老朽化し、平成16年から政策的に新しい入居を止めている城前団地に、学校用地を確保し移転しようとするもの。

机上では、それも一考かと思える。しかし、学校用地を(1.6ha)確保しようとするなら、実際そこに住んでいる住民の方が転居しなくてはならない。転居の対象となる住民の方々の生活状況や意向など、きめ細かく対応していかなくてはならないのは当然のことである。これだけでも時間を要する問題である。

さらに、公営住宅の新築(改築)計画というのは、まちづくりや福祉政策など、住民の意向や条件も踏まえながら、構想を練り上げていかねばならない。城前団地は、ここ数年改築の必要性を語られながら、どのような住宅団地にするか具体的に構想を練ることすら行われてこなかった。

構想というのは、規模・機能・位置・時期・期間・事業費、等々検討するものと考える。しかし、当局案は、鶴城小学校の位置を示しただけで、その他の要件はすべて一般論、あいまいのままの提示だった。(昨日と、前回7月29日の2回の検討会で8時間以上当局と質疑を交わしたが、当局内部ですら精査していないのがよくわかった。)

財政上の問題もある。鶴城小学校改築費・約25億円、城前団地改築(300戸)及び解体費・約25億円の計50億円を同時期に費やせるのか、また後年度の公債費負担は市の財政健全化計画からいって大丈夫かということである。

現在児童に対して一日も早い安全・安心な教育環境の提供ということが求められているのに、上記のような理由で、城前団地という場所(=位置)は不適である、という(議会側)検討会の結論に達した。

この検討会の審議について、明日の福島民報、福島民友の両新聞に掲載されるかもしれない。

 

私は、(今だ審査の途中だが)今回のことの問題は2つあると考えている。

1つは、プロジェクトチームの描いた素案のままでいいのかという問題。(~だから、議会でその案を検討しているのだが)

もう一つは、(審議の中で明らかになってきたことだが)素案といいながら、その中身について担当部課(例えば、学校なら教育委員会、市営住宅なら建設部)で、既存計画との整合性や案に示された条件の精査などやっていない、ということだ。市長は、この案を諮問するために「市民懇談会」を開設し、7月には各小学校区を回って市民に自ら説明に回った。(少なくても鶴城小学校の城前団地移転は、時期や財政上の問題など、裏付けのないまま市民に提示したことになる。)

真の意味で、素案をつくるというのなら、既存の計画など気にしないで自由で斬新な発想で絵を描いてくださいというのなら、市民(関係者はもちろん)を交えたワークショップなどで、まさに「市民協働」のプランづくりからはじめるべきだ、と私は考える。

従って、意思決定のプロセスも市民への提示についても問題あり、といわねばなるまい。

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