先日、大石さんの講演を聴いて、以下感想です。
今年も、日本での自殺者数は3万人を越えることが予測される。そうすると11年連続になるという。
絶望の淵に立たされた人が、明日への希望が持てなくなり死を選ぶ。しかし、大石邦子さんは、生き続けた。
大石さんを支えた最大のものは、両親の愛だった。こう書くと通俗的かもしれない。しかし、多くの受講者が涙を流し、最前列で聞いていた私などは、指先の毛細血管が縮むくらいの感動を受けた。(何度か聞いているのにも関わらず・・)
若い身空、通勤途中バス事故がもとで、下半身不随となり感覚も失い、排泄も一人でできなくなった。病院で看護婦さんや家政婦さんには「いい患者」で振る舞ったが、しかし、納得できない現実、生きる意味も判らないそんな思いで、週一回しか看護にこれない病気がちの母に辛く当たった。その母の答えは、いつも「人は生きるために生まれてきたの」というものだった。
「飲ンべい校長」とあだ名された父は酒を断ち、勤め帰り病室に来ると、まともに目を合わることをせず、ただ「大丈夫だ、大丈夫だ」と繰り返した。
自宅療養となり、やがて離れていった恋人の手紙を、すべて風呂のかまどで焼き一人泣いていたら、それを察した母が正座した膝に頭を乗せて、「人はこうして大人になるの」と髪をなでてくれた。
家庭の中心にいながら自分中心に生きていなくて、愛する者のためにそうせざるを得ない存在が、母だったという。
自分のイライラも悲しみも、全部受け止めてくれた母との死別に、何も返すことができなかったと悲嘆していると、お坊さんが「この世に後悔のない親との別れなどない」と言葉をかけてくれた。
大石さんが、昨年ガンの手術を受けた。その2~3日後、動脈が切れ、どうしても麻酔無しの手術をせざるを得なくなり、胸を切開したらあまりの痛さに気を失ってしまった。その一瞬母の顔が浮かび、「死ぬ前に、誰かのために役立つ生き方をしたかった」と思ったそうだ。
「そんな気持ちも、元気になると忘れがちになってしまうんですけどね」と微笑む大石さん。
障がいを抱えながら、そしてガンを克服した大石さんは、とってもチャーミングである。気持ちの持ち方、生き方からそういう“風貌”になっているのだろう。
「自分の心をわかってもらいたいのが人間」だから、それが大石さんにとって最大の理解者がご両親だった。そういう存在の人がいて自分が愛されていることを感じられるから、次に、人を愛することや人の役に立ちたいと思うことができる。
そして、これが生きる力につながることになる。
今のような時代にこそ、くじけそうな子どもや大人の人たちに大石さんの話を聞かせたい思った。
私も大変勇気づけられた。そして、まず身近な人たちの理解者であろうと思った。