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	<title>目黒章三郎 オフィシャルホームページ</title>
	<link>http://www.meguro.gr.jp/blog</link>
	<description>本気で会津若松を変えたいと思いませんか!!</description>
	<lastBuildDate>Sun, 15 Aug 2010 15:07:16 +0000</lastBuildDate>
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		<title>市内の総合交通体系を考える</title>
		<description>１１日午前、わが会派公志会の４人が、それぞれ手分けして市内のバスや列車を乗り継ぎ、それを基に午後に市の担当職員と意見交換をした。

私は、市役所前からまず“はいからさん”に乗り、会津若松駅で路線バスに乗り換え大戸の上三寄へ。そこから会津鉄道の「芦の牧温泉駅」に歩き、鉄道で再び会津若松駅へ。そして、今年度社会実験が行われている、市内の医療機関を巡る巡回バスに乗って市役所前で下車。

４人が、それぞれ感想を持ち寄りまとめ意見交換。

観光商工部所管の「はいからさん」「あかべえ」「えころん号」は、担当課の職員がいなく別の機会に詳しくということになった。というように、まず「縦割り行政」の壁を感じた。「えころん号」と医療機関巡回バスなど、商店街と市内医療機関を結んで総合的にルートや運行時間を考えればいいようなものだが、補助を出す省庁の関係で別なのだとか。・・・ふ～む。

一番感じたのは、北会津と市中心部を結ぶ「ピカリン号」と河東と市中心部を結ぶ「皆鶴号」のことだ。どうして、市中心部と結ばなくてはならないのかということ。つまり、北会津にも河東にも複数の定期バス路線（河東は磐越西線も）が通っている。湊地区住民にもいわれてきたが、路線バスが走る道まで遠い地区が多く、交通弱者にしわ寄せがいっている現状にある。挙げ句の果てに、路線バスの利用率が低い。

とすれば、北会津地区、河東地区、湊地区などは、地区内を巡回して走るバスを市が用立て（直営にするか委託するかは別に論議）、路線バスにつなぐようにすれば、その地区内に住む交通弱者対策にもなり、路線バスの乗車率も向上にもつながるのではないかと考えた。

どうしても、ピカリン号と皆鶴号を市の中心部に結ばなくても良いと思う。事実、高田橋を通る路線では、路線バスとピカリン号が数珠繋ぎになってる部面もあるという、北会津地区住民の指摘もある。

早急に考えなくてはならない問題と認識し、議会全体に提起したいと思う。 </description>
		<link>http://www.meguro.gr.jp/blog/?p=573</link>
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		<title>この１週間</title>
		<description>８月１日～２日は、盛岡へ。長男が大学入学以来８年住んでいます。

丁度“さんさ踊り”が１日～４日まで繰り広げられ、これも見たかった。予想通り、太鼓と踊りが一体となり熱気あふれる祭りでした。参加者も見物人も、楽しそうでした。参加団体が増えて連続４日の開催になったそうです。

ついつい、９月に行われる会津秋まつりの“磐梯山おどり”と比較してしまいます。３～４年前案内した仙台や青森の人が「楽しそうに踊っていませんね」。そろいの企業のゆかたの踊り手だけを見て「一般の人は入れないんですか」という感想が思い出されます。

かたくなに「伝統」を守り、これでなくてはという方々を否定するものではないですが、それなら別なあり方も考えてみる必要があるのかもしれません。～来年あたり、形になればと思います。“さんさ踊り”を見ていいヒントになりました。

翌日、小岩井農場と古代紫波城跡へ。紫波城趾は、坂上田村麻呂の蝦夷攻め拠点の城といわれています。東北縦貫道の発掘調査で城の外環部が見つかり、その後国指定史跡となり、田んぼだった政庁跡を買い上げ整備していました。当市でも、神指城趾が国指定史跡の価値ありと文化庁から折り紙がつけられたところであり、まさに参考になると思いました。

 

８月３～４日は、市議会総務委員会の行政調査で上越市へ。自治基本条例や庁内シンクタンクについて調査。翌日は、上杉謙信ゆかりの春日山城趾に登り、その後、埋蔵文化財資料館など見学。

 

７～８日は、東京市ヶ谷の私学会館で、議員力検定協会主催の「あらためて日本の議会政治を考える」という題のセミナー。議員力検定協会の共同代表が、法政の廣瀬先生、山梨学院の江藤先生などお世話になっている先生で、またパネラーがそうそうたるメンバーだったので、同僚議員と参加。

わが市議会が歩んでいる「議会改革」（市民との意見交換会、議員間討議ｅｔｃ・・・）が間違いないものであり、その成果（議会自らが政策立案するような形）が徐々に現れてくれば、二元代表制の一方である議会の権能を発揮するという日本の議会制民主主義を発展させる一つのモデルになると確信しました。

私も２～３発言の機会も与えられ、後、同じ聴講者の何人かから声を掛けれら意見交換をしてきました。

 

どんな場所、場面でも、会津（若松）に置き換えたらどうなるか・・・と考え発想しています。毎日が勉強です。 </description>
		<link>http://www.meguro.gr.jp/blog/?p=571</link>
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		<title>さらに前進するという確信！</title>
		<description>

２６日（月）～２７日（火）と会津若松市議会議会運営委員会の行政調査で、東京都多摩市と神奈川県茅ヶ崎市へ。調査内容の主なものは、決算委員会のあり方と市議会による「事業評価」のし方。

どちらの市も、中心的に担ってきた議員に対応していただく。わが市でもそうだが、議会改革案件については、議会事務局の職員やだけでなく議員が対応することによって実体験が聴け、議員同士意見交換することによって論議が深まる。

多摩市は、議員間、あるいは会派間のボーダーが低く、ぎりぎりまで話し合うという風土がある。まさに「合議体としての議会」のお手本のような議会運営をしている、と注目していた。決算委員会も議長と議会選出監査委員を除く全議員で構成し、議員による事業評価も平成１５年度からはじめ、執行部側の事業評価と対比させ翌年度の予算編成に反映させている。

茅ヶ崎市議会も、多摩市議会に習い１年半の研究検討の末、昨年度からはじめた。事業評価のマトリックス表や決算委員会の日程の取り方など参考になった。

こにょうな議員による事業評価が、注目を浴びた「事業仕分け」と同じ効果をもたらすものだ。

まだ、数ある自治体議会の中では与党・野党意識から脱却できず、ある市の「与党」会派の議員などは、市長を「守る」のが自分たちの仕事だと思っている人もいるようだ。それでは自ら議会を、市長の付属機関である審議会「程度」に落とし込めていることになる。

こういう考えでは、地方自治法が「想定」している議会の役割を果たしていないことになるのだから、市民が議員報酬及び数は多いと思うのも無理はない。日当でも当然だ。

 

しかし、今回調査に赴いた多摩市や茅ヶ崎市のように、着実に改革を進めている議会も増えてきた。わが市議会は、議会基本条例に基づき「市民意見を基に政策形成を図る」という姿勢では、一歩他の議会より進んでいるかもしれないが、予算決算委員会のあり方や諸条例づくりなど、これから改革すべき大仕事が沢山ある。

しかし、着実に具現化していくと感じている。それは、わが市議会の多くの議員のベクトル（方向性と長さ）が合ってきているからだ。 </description>
		<link>http://www.meguro.gr.jp/blog/?p=569</link>
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		<title>農商工観学フェア</title>
		<description>本日、会津アピオスペースで表記の第１回フェア。実行委員会が組織され、中小企業家同友会会津地区が主管。

暑い中、６０以上の企業ブースが出店し、各企業のアピール、飲食、子ども向けの工作体験コーナー、また就職応援、会津大学生からのビジネスモデル企画コンペなど盛りだくさんの内容で開催されました。３千名以上の来場者があったと思われます。

私は、この実行委員会の中の“ビジネス交流部会長”を命ぜられ、主に会津大学側との担当窓口を担いました。大学では「IT日新館」と称し、会津の「地域資源」を、学生の若い感性で起業化をすすめるような授業が組まれています。それと、今回のフェアがコラボする形で催したところ、２０５件の応募がありました。今日はその中から、事前に５人がノミネートされたものを審査員及び観客の前でプレゼン発表してもらい、その後表彰式が行われました。

いずれも甲乙つけがたいアイディアが出されました。

最優秀には「みそば饅頭」の商品化とそのパッケージデザイン、販売方法などを提案したものが選ばれました。その他、ウェブ上に貼られた会津の名所の写真の場所に出向いて写真を撮り、そして周囲を巡る、ネットと体験型を結びつけたものや、地酒や地ビールのフェスタを鶴ヶ城で行い「サケワングランプリ」を決めるといったものなど、審査員の質問にも的確に答えながら、爽やかな感動と会津の地域力を高められるという自信を与えてくれるような、大変有意義な「学生コンペ」になりました。

また、学生のプレゼンの中には、以前このブログでも紹介した多摩大学教授「図形教の教祖」久恒啓一先生の授業もちゃんと活かされていると感じました。プレゼン能力がアップされていたことは間違いありません。

今後の製品化、起業化について早速関係者と話しあっていきたいと思っています。

本当に、この後の展開が楽しみです。 </description>
		<link>http://www.meguro.gr.jp/blog/?p=564</link>
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	<item>
		<title>訂正とお詫び</title>
		<description>昨日の日記ですが、語句の訂正をいたします。

「一校目」　→　「初稿」　に

 

７月８日　「“図解教の教祖”久恒啓一先生”」の日記では、下から５行目

「学生時代こんな『事業』を」　→　「授業」　に訂正します。

 

７月６日の「気負わずに　着実に」の日記では、日付を１ヵ月間違っていました。

会津掃除に学ぶ会年次大会は、６月５日（土）ではなく、７月３日（土）に

会津エンジン０５は、６月６日（日）ではなく、７月４日（日）でした。

 

以上、訂正してお詫び申し上げます。（今後はさらに気をつけます。） </description>
		<link>http://www.meguro.gr.jp/blog/?p=562</link>
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		<title>校了と一校目原稿</title>
		<description>本日、午前中に会派報「公志会だより」が校了した。来週初めに仕上がり、２２日の新聞折り込みで全戸配布される。

一方、「目黒章三郎ニュース」の原稿を手渡す。今月末か来月初めの仕上がりとなる。こちらは、ポスティングで各戸配布の予定。

双方、地方議会のあり方、議会改革の方向性などを一面に載せた。今、全国的に地方議会からもその研究者からも注目を集めている会津若松市議会の「議会改革」が、どういうもので何を目指しているのかの理解の一助になればと思って掲載した。それが、ひいてはこの地における住民自治の進展、民主主義の醸成につながればと願うものである。

「図解教の教祖」久恒啓一先生の影響を受け、まだまだ不十分ながら図解もどきで表してみた。訴求力という点で、いくらかでも発揮できているだろうか。今後もチャレンジしていきたい。

ただ、自分でいうのも何だが、私の文章は（よく練られたものは）臨場感があってなかなかおもしろい、と思う。

どうか見てやってください。 </description>
		<link>http://www.meguro.gr.jp/blog/?p=559</link>
			</item>
	<item>
		<title>いただけなかった福岡政行先生の講義</title>
		<description>７月４日（日）、エンジン０５で会津さざえ堂をテーマにした講座の司会をしたことは、このブログで書きました。　　　　　　　　　　午後になって、テレビでおなじみ、高名な政治評論家で大学教授の福岡政行先生の講座を受講しました。

今月２２日に、私の所属する会派・公志会の会派報　「公志会たより」が発行となり新聞折り込みされます。また、私の市政だより「目黒章三郎ニュース」も今月末に発行予定です。（今、思い出しましたが７月２８日が私の誕生日ですので、この日にしようと思います。（笑い））

福岡先生の講義がいいヒントになりました。（反論じみて書いたといってもいい）

福岡先生の講義は、メインは参議院選挙でした。それについては特にいうことはありません。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　４分の１くらいを、議員、及び公務員批判に当てていました。十把一絡げで、「人数が多い、報酬が多い」という論調。この論を否定するつもりはありません。しかし、政治学者ならこれだけでいいのか・・・・と思います。

地方議会のあるべき姿を聴衆に説き、そして今各地で胎動している議会改革の事例を語り、その上で旧態依然たる議会を批判するならもっと説得力があったことでしょう。著名な首長を持ち上げ、議会を悪くいうだけなら、まさにテレビのワイドショー向けで学者のそれではないと思います。

「日経グローカル」や「ガバナンス」、また議会改革のフォーラムなどに登場してくる地方自治を研究されている先生方は、きちんと調査をされ、その上で評価をし、進むべき方向を指し示しておられます。日本の民主主義を前進（また、熟成）させる役割が、学者にはあると思います。

会津若松で講演されるなら、会津若松市議会の「議会改革」について、もう少し調査してきてほしかった、と思いました。まぁ、お忙しいお人で、さらに参議院選挙の結果予想がその時の最大関心事（また、福岡先生の“売り”）でしょうから、しょうがないか・・・・・、とも思いますが。

でも、私にとっては、今の「分権」時代の議会の役割を改めて問う「目黒章三郎ニュース」に掲載する記事を書くきっかけづくりになりました。 </description>
		<link>http://www.meguro.gr.jp/blog/?p=557</link>
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		<title>“図解教の教祖”久恒啓一先生</title>
		<description>昨日７日、会津大学「ＩＴ日新館」の講義で、“図解教の教祖”とあだ名のある久恒啓一先生の講義を聴く。

久恒先生は“現代の志塾”多摩大学教授。元日本航空の社員で、県立宮城大学の開設と共に初代学長野田一夫先生に誘われて先生となられた。私は、久恒先生の講義を本年２月に東京で聴く機会があり知古を得た。（また、私の三男がこの四月に多摩大学に入学した。）

５月に会津大学のT先生とK先生を訪ねたとき、「学生のプレゼン能力を高めるため図解の授業を考えている」という話しになり、私が久恒先生とちょっとした知り合いで、ということで仲立ちすることになった。そんなわけで、今回学生に混じって講義を聴くことができた。

改めて、文章と箇条書きと図解の訴求力の差、図解に表すことに要する考える質量の差を思った。（私にとって、図解を多用するにはパソコンをもっと自由に操る能力を身につけることが課題だ。）また、久恒先生から自分の考えを言うとは、ある論（考え）に対して、①わかったこと②疑問に思うこと③反論することの三つをいうことだ、との話しには合点がいった。それも図解で表すのがよい。

講義にお誘いした、会計事務所のＫさんも大満足。「学生時代こんな事業を受けていたら、もっと勉強したのに・・・」と。同感。

講義後、久恒先生、Ｔ先生、K先生と某居酒屋で懇親会。私は、最近「控酒」しているが、昨晩ばかりは夜が更けるまで「図解」を肴に飲んだ。いっぱいやりながらのゼミのようで、いいひとときを過ごしました。 </description>
		<link>http://www.meguro.gr.jp/blog/?p=553</link>
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		<title>気負わずに　着実に　・・・・　</title>
		<description>気負わずに　着実に　などというタイトルだと、私でないような・・・・

６月５日（土）は、日本を美しくする会・会津掃除に学ぶ会の第１１回年次大会が会津高校を会場に開かれました。

いつもトイレのリーダー役を仰せつかるのですが、今回は生徒の昇降口（玄関）だった。１０数人のまとめ役で、２時間で天井及び蛍光灯から、窓、ロッカー、備え付けの掃除用具入れ、そして床までキレイにする。班の中に現職の会津高校の若い先生がいた。作業終了後の反省会で「玄関掃除などは３０分くらいで終わるものと思い、２時間をどう使うのか疑問に思っていましたが、徹底してやれば時間が足りないほどでした。」といっていました。

リーダーとしては、用具の効果的な使い方、時間配分に気を使うのは当然として、初めての参加者が多い中でどうチームワークを形成するか、終了後の達成感・満足感を味わってもらえるような指揮ぶりをどう発揮するかが問われます。

幸い、皆さんがいい汗をかいたと感想を述べていただきましたので、安心しました。

 

６日（日）は、エンジン０５が会津大学で。実行委員会からさざえ堂の講座を設けてくれと依頼されていて、会津さざえ堂を愛する会として、所有者の飯盛氏、顧問で建築家の柴崎会津大学短大部準教授にお話しを伺うという形で、事務局の私が司会をしました。（民友、民報両新聞にも掲載されていた。）

改めて、二重螺旋という構造の奇抜さ、不思議さ。仏教施設としての三巡り（回り）、６本の心柱と六角形という数字の意味、時間、季節による光や風のながれ、飯盛山山域の持つ意味・・・・・等々、「魅力と秘密」を語っていただきました。しかし、まだ「魅力と秘密」が語り尽くされたり解き明かされたりしたわけではありません。

全国の著名な建築家が、日本で一番注目し“好きな”建築物として会津さざえ堂を挙げています。（建築雑誌カーサブルータスによる）　改めて、世界に唯一、国宝級の木造建築物（現、国重文）があるこの地に住んでいることを誇らしげに思います。だから、もっと知りたいという思いが募ります。

本体の保存を考えながら、第一歩として周辺の整備が動き出すようです。 </description>
		<link>http://www.meguro.gr.jp/blog/?p=551</link>
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	<item>
		<title>昨日の日経（板東俘虜収容所について）</title>
		<description>日本経済新聞６月２８日（月）、最終面の文化欄。

「寛容貫いた捕虜収容所　・　第１次大戦で『模範』に　敗者の痛み知る会津人所長」と題し、鳴門教育大学名誉教授の田村一郎氏が書いた文が掲載されている。

ドイツ兵が「天国のような」と評したという板東俘虜収容所を運営した当時所長であった松江豊寿自身は、日記や手紙のたぐいは残していない。ただ、松江自身の“周辺”の資料や娘さんへのインタビューから、その性格や人道的な運営をした背景など調べている。

柴五郎陸軍大将の「ある明治人の記録」にも触れ、会津人の敗者側の痛みを知り共感できる素地を書いている。以前このブログで、武士道の本質は惻隠の情を知ることとも書いた。別な言葉で言えば「武士の情け」であり、決して「切り捨てご免」が為政者側であった武士の本質ではない、と思う。

私は、一方で司馬遼太郎氏、及びその作品に対する評伝を読んでいる。

その中に、吉田松陰を主人公にした「山縣有朋の『世に棲む日々』という評論があった。奇兵隊がまず藩内で実権を握った後、当の長州藩内で上士階級をコケにし狼藉をはたらく退廃ぶりがあり、それが「官軍」に引き継がれ会津戦争後の傍若無人な占領政策となった。明治となり旧陸軍を創設した山縣有朋に対しても、単なる「出世欲が動機」だけで奇兵隊に入り、ついに「明治政府そのものをにぎる人物に」なってしまったと評している。（私は、昭和の入っての陸軍もこの系譜の上にある、とほぼ確信している。）

 

肩書きではなく、人間としての普遍的な価値である“他人を思いやる気持ち”が人道主義や国際主義につながるものであり、それが会津ゆかりの松江豊寿や柴五郎の生き様によって体現されたことに、胸の中で誇りに感じているものです。 </description>
		<link>http://www.meguro.gr.jp/blog/?p=549</link>
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